公益財団法人農学会 The Foundation of agricultural Sciences of Japan

公益財団法人農学会の沿革

1.農学会の設立とその後の活動

・1887年(明治20)11月6日に、東京農林学校、旧駒場農学校および札幌農学校の卒業生によって「農学会」が設立された。当時は駒場農学校、札幌農学校の卒業生等が中心の幹事長・評議員合議制で発足した研究団体(学会)であった。

・会長が置かれたのは1900年(明治33)からで、その5年後からは古在由直と横井時敬が2年交代で計12年間会長を務めた。さらに横井は1918年(大正7)から1923年(大正12)まで継続して会長を務めた。1923年には副会長が置かれるようになり東京帝大農学部内諸学科の長老たちが一年交代で就任した。どうも農学会の性格が設立当初とは異なるものになってきたらしい。

・この変革は当然のことで、駒場農学校と札幌農学校の卒業生が中心となっていた時代とは違い、大学・高等専門学校などが設立される、国立・県立の試験場なども続々と開設されるとともに、学術的にも進展・分化が見られて諸分野の専門学会が設立され始めるなどして、学術論文の発表も農学会発行の農学会報一本では収まらないようになっていた。

・すなわち、日本植物病理学会が1918年(大正7)に設立され、1923年(大正12)に園芸学会が、1924年(大正13)には日本農芸化学会が、また1925年(大正14)には農業経済学会が設立されている。また東京帝大農学部内には獣医学科、林学科や水産学科があり、これらは既に1884年(明治17)に日本獣医学会を、1918年(大正7)に林学会を、1913年(大正2)に水産学会を設立し、それぞれ別個の立場で学会活動をしていた。

・農学会は総合的農学という立場をとってきたが、従来のような組織・活動では農学会にいろいろと問題が出てきたらしい。そういうことが表面化し出したのは、大正末期から昭和初期にかけてだったようで、1926年(大正15)4月には「農学会と日本農芸化学会との連合大集会」とか、1927年(昭和2)4月には、京都大学で「農学会・日本農芸化学会・林学会・農業経済学会の連合大会」が開催されている。翌年には、農学会・日本農芸化学会・水産学会・畜産学会・農業経済学会・日本作物学会・日本土壌肥料学会・園芸学会の8学会が参加する「農学諸学会連合大集会」が開催されている。この時は、第1日目に連合大講演会や農学会討論会などが行われたが、第2日目には、それぞれの学会が別々に研究発表会を行ったが、林学や獣医学の関係、また植物病理や病害虫関係の分野は参加しなかったという。

・このような問題が出始めていたので、1931年(昭和6)に開催された農学会常議員会では議案の一つとして「農学会将来に関する件、改善委員会を設け適当なる対策を研究することとし、委員の人選は会長に一任」が提案されている。

・農学会は農学分野全般にわたる研究団体(学会)として、農学会会報を1888年(明治21)4月2日に第1号を発行し、1931年(昭和6)4月に最終刊として第327号を発行した。すなわち、1932年(昭和7)に農学会が、財団法人に組織変更されたが、これと同時に農学会報の発行は停止されたことになる。この間、1910年(明治43)3月発行の第92号より農学会報と改題されている。

・農学会会報(農学会報)は、44年間に渡って、とぎれることなく発行されたが、この間論説として734編、通信・雑報・雑録として38編、調査報告其他として8編が掲載されているが、さらに講演要旨や討論会講演要旨も掲載されている。なお、農学会会報(農学会報)は、東京大学農学生命科学図書館に保存されている。毎年発行された農学会会報(農学会報)の存在は、農学会が非常に活発な研究団体(学会)であったことを示している。これを示す事柄として、いずれも最終的には暫く見合すことになったが、農学会独自の事務所を建設してはとの提案が、1901年(明治34)の評議員会、1915年(大正4)の常議員会でなされている。

2.財団法人農学会の設立とその後の活動

1933年(昭和8)2月21日発行の農学会報総目録には、財団法人農学会設立経緯が記されているが、同会報記載の他の記録も含め平易な表現に直すと下記のようになる。

1.農学会は1923年(大正12)頃より、しばしば改善委員会を設け会務振興について検討してきたが、充分目的を達することができず、農学会の将来を憂慮する会員が益々増加したという。

2.1930年度(昭和5)評議会においてこの点について論議されたが、すぐには解決困難なので、対策を立案し1931年度(昭和6)の評議会に於いて協議することになった。

3.1931年(昭和6年)2月5日の常議員会において対策を協議した結果、成案を得るため改善委員会を設置することになった。

4.改善委員会は、小委員会6回を含め計8回の会合を重ね、従来会員間に唱えられていた意見を改善原案3案として纏め、これを常議員会に提出した。

5.同年6月15日の常議員会で改善原案3案について審議の結果、「財団法人に組織を変更する案」が最も適当と認め、さらに詳細な要綱を起草するため、起草委員会を設置することを決めた。

6.起草委員会は同年7月2日「財団法人要綱」を起草し、これを会長に提出した。

7.会長は上記要綱に基き「寄附行為草案」を起草し、要綱と共にこれを常議員会に提出した。なお、寄附行為は定款に相当するものである。

8.常議員会は同年9月26日における審議の結果「寄附行為草案」を決定した。

9.「寄附行為草案」を会員に送付し「財団法人案」に対する意見を聞いたところ賛成の解答を得た。

10.そこで同年11月9日の常議員会は、上記の解答に基き財団法人農学会設立を次回評議会の協議事項として提出することを決定した。

11.同年11月28日農学会第46回評議員会は「農学会」の組織を変更して「財団法人農学会」を設立することを満場一致を以て可決した。

12.設立代表者平塚英吉氏は財団法人設立許可申請書に関する書類を整え、同年12月27日主務官庁に提出した。

13.1932年(昭和7)2月2日付けを以て主務官庁より設立許可があり、直ちに登記を行い「財団法人農学会」を設立した。

・大正の終わりから昭和の始めにかけて、農学会の将来を憂慮する意見が強くなってきたことは先に述べた。農学会では1927年(昭和2)ころから改善策が出ていたことから、1928年(昭和3)4月に改善委員会を発足させた。この委員会が作成した現状の改善と、根本的改造の2案の中から、「日本農学会設立要綱案」が1928年(昭和3)12月の評議会に提出され、“趣旨は賛成であるが調査員会をもうけてなお充分調査を進められたし”との希望条件付きで採択された。

・これを受けて翌1929年(昭和4)1月には拡大された改善委員会の発足が認められた。委員会は審議を急いだ、1929年(昭和4)4月の大会開催には間に合わなかったものの、委員会答申の「日本農学会設立要項と同会規則案」が評議会で採択され、年内の発足、1930年(昭和5)4月の大会は新体制で行うことを目途にして準備が進められた。

・そこで1929年(昭和4)11月1日の農学会常議員会で「日本農学会の理事及び評議員の候補者参考氏名決定」、「日本農学会創立により本会(農学会)の事業は縮小」などを決め、また同月20日の常議員会では「日本農学会を1929年(昭和4)11月13日創立*、会長古在由直、副会長白沢保美」の報告があり、「農学奨励資金を日本農学会に移譲、1930年度(昭和5)の日本農学会大会には、1929年度(昭和4)支出せると大略同額を提出し、創立第1回の大会に支障なき程度とす」の件が可決された。なお、農学奨励資金を日本農学会に全部移譲する件は、日本農学会第1回大会終了後の1930年(昭和5)5月の農学会常議員会で可決された。

・これで日本農学会創立の準備が完了したのであるが、旧農学会は、第1次案では「解散して全資産を新学会に移す」というような考えがあったけれども修正されて、解散せずに存続させ、「新学会成立した際は本会は進んでその発展に寄与する(一構成学会として)」ということになった。

・上記のような経緯から判断すると、農学会から日本農学会が誕生したと理解できる。その際、農学会は、農学賞牌授与の原資となった農学奨励資金を全部日本農学会に移譲するなどしたため、財団法人として衣替えしたが、農学会報の発行も1931年(昭和6)で終刊となるなど、その活動は縮小された。その結果、農学会は財団法人として再出発したもののアクティビティが従前と比べると低下したのは否めない。

・その後、1981年(昭和56)5月21日評議員会において財団法人農学会の寄附行為の改正が承認され、同年8月14日に、松井正直会長名で寄附行為の改正について文部大臣に申請された。改正理由として以下の記述がある。

・現行寄附行為は設立時(昭和7年)に制定されたものであり、現状にそぐわぬため改正するものである。

・この寄附行為は1982年(昭和57)年4月1日から施行され、公益財団法人への移行まで機能した。

*農学会報の記録では昭和4年11月13日創立となっているが、発足後の日本農学会規則の注では昭和4年12月13日議・昭和5年1月1日より施行となっている。推測するに、設立準備委員会で予定の人事、規則案が12月13日開催の第1回評議員会で決定され、実際の日本農学会の活動は翌5年1月から始められたと思われる。

・財団法人農学会は、1999年(平成10)11月19日の日本技術者教育認定機構(JABEE)の設立に際し、その会員となり農学一般分野の技術者教育プログラムの審査を担当することになった。

・2002年(平成14)には、日本農学進歩賞を創設し、毎年40歳未満の優秀な若手研究者10名程度を表彰している。日本農学進歩賞は創設から10年が経過し、総授賞者数も100名を超え、現在も継続して授与されている。またアジア獣医科大学協議会賞(ヒルズ賞)も同年に創設されたが、これは2006年(平成18)の第5回授賞をもって終了した。

・2010年(平成22)より、AGri-Bioscience Monographs (AGBM)誌が英文電子書籍として創刊され、2011年(平成23)より掲載が始まった。執筆対象者は当面日本農学進歩賞受賞者として、原稿の受理には査読者2名による査読制度を導入している。

 

3.公益財団法人への移行

・新公益法人3法が2008年(平成20)12月1日に施行され、既存の公益法人は特例民法法人となり、新法施行から5年以内に、公益社団・財団法人へ移行するか、一般社団・財団法人へ移行するか、あるいは解散するかの選択を迫られた。

・財団法人農学会は検討を続けてきたが、2010年(平成22)5月に開催された理事会・評議員会で公益財団法人へ移行することを決議し、これまでの寄付行為に変わる定款作成等の準備を始めた。

・2011年(平成23)4月には公益認定等委員会事務局の指導を経て申請書類を整え、同年10月14日に移行認定を受けるべく申請した。その後2012年(平成24)3月19日付けで認定を受けることができたので、同年4月1日に東京法務局において登記を行い、公益財団法人へ移行した。

・上記の沿革の記載については、農学会会報(農学会報)、農学会報総目録及び日本農学会50年史を参考とした。ここに記して謝意を表明する。

(文責:會田勝美 )